エッセーを書きたいと思っている。
前から何度かそう思うことはあったし、そう思って実際にエッセーを書いていた時期とかも何回かあった。
そして、最近また書きたいと思うようになった。
というもの、これは自分にとって「ミニマルな形のプロダクト開発」だからだ。
スタートアップの基礎練習と言ってもいい。
アイデアを形にし、顧客(読者)に価値を提供するというプロセスは共通している。
具体的な内容を適切に抽象化して、表現するということも共通している。
そして、この共通点こそがスタートアップをするための、実践的な経験につながる鍵であると思っている。
つまり、人に読まれるエッセーを書くことで、同時にスタートアップしているんだと思う。
ところで、僕は今東京でスタートアップを立ち上げている。それはつまり、自分のアイデアを形にして、顧客に価値を提供するということになる。
スタートアップするには、それに必要な多くの作業をこなさないといけない。
なので、スタートアップを学ぶには、実際に一連のワークフローの繰り返しで得られる成長を体験するのが1番だと思う。
それは、正しくスタートアップするということにもなる。
なぜなら、アイデアを最も発展させるには、それについて考えるのではなく、実際に人に話して、作って、顧客に売って、価値を提供してみることが1番有効だから。
開発についても同じ。
真にいい製品を作るには、顧客のことを知って、販売する場所やチャネルのことを知って、売り込むことを通して多くを学ぶ。
なので、「アイデアを形にして顧客に届ける」という一連の流れで思考することがとても重要になる。
言い換えれば、部分だけでは不十分で、全てが影響しあっているということ。
これはエッセーを書くことも同じ構造だ。
自分のアイデアを文章にして、顧客に価値を提供するということ。
その時に、超具体的に解説するのではなく、適切に抽象化して本質的な発見を表現する必要がある。
求められている製品を作ることと、求められている文章を書くことはとてもよく似ていると思う。
自分の書きたいことを書いているのか、そうでありながらも、人に求められるように書いているのか。
僕は、とびきり優秀なソフトウェアエンジニアが作った誰にも使われないサービスを、すでに山程見てきた。
どんな人でも、少し油断しただけで、自分のアイデアベースの誰にも求められない製品を作ってしまう。
でも、良い文章を書くことで、多くのことを学べる。
製品の見せ方、想定しているターゲット、提供する場所やチャネルに適応することを知って、売り込むことなど。
それは、スタートアップに必要な事と同じこと。
本質的にプロダクト開発と同じだから、それを実践的に学ぶことができる。
結局、どんな商売、スタートアップ、プロダクト開発、そして文章を書くことにも、共通しているのは、アイデアを形にして顧客に価値を届けるという事だ。
しかも、経験不足に起因する様々な自分自身の問題にも対処できる。例えば、完璧主義で高速にアウトプットする事自体がまだうまくできない、ローンチの恐怖、お願いして拒絶されることの練習にもなる。
自分にとって価値のある発見を、他の人にとっても価値のある発見にするための見せ方を学べる。
これは、ある種の正当化でもある。
恥ずかしい、馬鹿げている、ダサい、自信のない状態。
それらが、どんなアイデアであれ、どんな状態であれ、見せ方次第で売り物になるんだと思う。
エッセーは、そのためのアウトプットと見せ方を最小で練習することができる。
だから、スタートアップするようにエッセーを書きたいと思った。
そんな事を思いながら、ポール・グレアムのエッセーをいくつか読んだ。
村上ラジオも好きだ。
そんな感じのエッセーを書きたいと思う。
理想は、情熱的で、したたかで、エレガントな文章。簡易な話し言葉で書かれた、流れる音楽のようにリズミカルさと滑らかさがあって、事実と、好きなことに関する記憶と、アイデアが混ざった文章。
そんな製品が作りたいとも思う。上手く言えないけど。